温もりを感じられる場所にいさせて(なのフェイ)



ふと、気づいてしまった。

親友が微笑む余所行きの笑顔があんなにも柔らかいものだったなんて。

 なぜ今まで気づかなかったのか、そう考えてみると不思議なものでこんなに遠くで親友を見つめ続けることがなかったのかもしれないという結論に至る。
私の知らない、遠くのフェイトちゃん。
いつも、一番近くにいたから。
いつも私だけに向けられる特別な笑顔しか見てこなかったから。私だけに向けられる笑顔が当たり前なことなのだと、勝手に思っていた。だから、私はフェイトちゃんがいつも私にくれる笑顔だけしか知らなくって、見ていなくって、他の人にもあんなに優しく微笑むなんてこと、知らなかった。
 その日は受け持っていた訓練が一通り終了して、その報告書を提出するために本局へ向かうことになっていた。無事報告書を提出し終わり、久しぶりの本局の空気を味わう。
適度な緊張感とその流れる時間の早さが信じられないほどの静寂に、無意識に足音が小さくなった。そんな中ふと気づくと、廊下には見慣れたというには良く知りすぎるほどの人物。
きっとサングラスを掛けたって髪形を変えたって、姿を見ればすぐに誰だか気づくに決まっている、人物。
フェイトちゃんが、いた。
同じ仕事に就いていると言っても、勤務内容もその職場も全く違うから勤務時間中に会えることなんてめったにない。うれしくて声を掛けようと手を伸ばし、走り寄ろうとしたその時。
見えてしまった。
次元航行部隊の同僚だろうか、私の知らない誰かと親しげに話す、フェイトちゃん。
 きれいな紅い瞳を細め、柔らかく唇を引いて軽く握った手を顎に当てる。
相手が話すことをきちんと目を合わせて頷きながら聞いて、時折考えるように首を傾げると金色の髪が肩を流れた。
微笑む時少し下げられた眉。
たまに右側の唇が片方だけ、上がる。
頷く時は、やはり右側の眉が少し上がった。
そんなフェイトちゃんの微笑みのくせ一つ一つに見入ってしまい、優しげな手つきで相手の肩に触れその場を離れるまで、立ち尽くしていた。
一通り話が終わり移動しようと相手の肩に触れ、向かう方向へ手を差し出すその仕種はまるで、エスコート。「執務官」のフェイトちゃんを声も掛けることができずに見送ると、本局の廊下に佇む空っぽの自分がいた。
心の底でフェイトちゃんの瞳の色のような濃い紅い色がぐるぐる渦巻いて、重く圧し掛かる。
こんな感情が自分にもあるなんて、それがただ誰かの肩にフェイトちゃんが触れただけで湧き上がるものだなんて。
そう、知らなかった。
フェイトちゃんがあんなにも優しげに誰かに触れることがあるなんて。


 ふとしたことでも気づいてしまうと気になるもので。
それが他の人からしたら針先で空けた程度の小さな穴だったとしても、今の私には足を滑らせれば落ちてしまうほどの大きな穴に見えた。その穴は大きくないと意識すればどんどん穴が広がって行き、落ちないようにと注意すればなぜだか無意識にそちらに向かっていってしまう。仕事で帰宅が遅くなると言っていたフェイトちゃんをベッドの中でじっと待ってしまう自分がいた。
帰って来てくれるか、不安だった。
待っていたからといって帰宅が早まるわけでも、意識した穴が小さくなるわけでもないのに。
大体、冷静になって考えてみればフェイトちゃんの家はここで、帰らない、という連絡がないのだから帰って来るに決まっているのに。けれどデジタルの文字が指し示す数字はとっくに日付を更新していて、現在の時刻は深夜の一時を回っていた。
眠りに落ちてしまえば楽になれるのに、昼間酷使したはずの体は神経が昂ぶっているためか、いつまで経ってもまどろみが訪れることはない。
静まり返った室内で耳を澄ませると、聞こえるはずのない足音が聞こえるような気がした。
何度目かわからない寝返りを打つと、不安に胸が押しつぶされそうになって、いっそのことフェイトちゃんに通信を入れようかという考えが浮かんだ。

――今、どこにいるの?

本局の執務官室。

――まだ、お仕事?

それ以外に何があるの。

――何時ころに帰れるの?

そんなこと、わからないよ。

 フェイトちゃんへの問いかけに、自分自身で答えてみる。
通信を入れたからフェイトちゃんの帰宅が早まるわけではないし、いたずらに心配や負担をかけたくなかった。
でも、一番恐かったのは通信に出てくれないこと。もしそうなったら、裸足で駆け出して夜の空に飲まれてしまうかもしれなかった。
ベッドの中で瞳を閉じていると、また誰かの足音が聞こえる。
きっとフェイトちゃんを待ちわびるあまりまた、聞こえもしないものが聞こえるのだろう、そう思っても鼓動が早まり体を緊張が走る。
じっとその音を聞いていると今度はエアーの抜ける音と共に、確かな重みの足音。
私が寝ていると思っているフェイトちゃんはそっとドアを開け、どさりという音がすると鞄をリビングのソファあたりに置いただろうことがわかる。
暗闇に温かな色のダウンライトが点り、フェイトちゃんが帰ってきた実感が湧くと気づかれないようにそっと息を吐いた。
すぐに布の擦れる音がして、反対側のベッドが軋む。
余程疲れたのか、シャワーを浴びる余力もないのだろう体を横たえると、深い溜息が聞こえた。
ぱちり、ライトの落ちる音が聞こえると再び暗闇が訪れフェイトちゃんから安らかな寝息が聞こえ始める。
起こさないようにそっと寝返りを打って暗闇に慣れてきた目を凝らすと、確かにフェイトちゃんがそこにいた。
体を寄せると、少し体が冷えていたから温もりを分けてあげたくて抱き締める。さらに体が密着しフェイトちゃんの髪に顔を埋めると、甘いフェイトちゃんの、香り。抱き締めた腕に伝わるフェイトちゃんの柔らかさとその香りに、自然と息が上がってしまった。
フェイトちゃんの首筋に、唇を押し付ける。薄い皮膚を通してトクリと波打つ鼓動が伝わり、まわした腕に力が篭った。
「ん……、なの、は?」
かなり眠いらしく、耳元で掠れた声。
「ただいま……遅くなって、ごめんね――」
眠気で目を開けることもできない中無意識に謝ると、再び寝息が聞こえた。
桜色のほんのり開いた唇を見ると、我慢ができなくてそっと触れ合わせ、軽く吸った。
柔らかな感触に、甘い痺れが体を走る。けれど疲れているフェイトちゃんを思うとそれ以上触れられなくて、溜息も飲み込むと鼻の奥がつんとした。
深い眠りに落ちようとしている彼女を、どうして引き上げることができるだろう。
そんな酷なことはできなくて、でも、気づいてほしくって。
押し込めた気持ちが溢れてしまって、思わず涙が零れた。
「――っく」
声は上げないように、肩だけを震わせ次々と温かな雫が溢れて視界が不鮮明になる。だから、うっすらと開けられた紅い瞳にしばらく気づかなかった。
「どうして泣いているの?……なのは?」
急に声を掛けられ、けれど顔を上げることはできなくってさらにフェイトちゃんの首にしがみ付く。
「なのは、どうしたの?なのは――」
優しい声と気遣うように背中を撫でる温かな、手。
今は、フェイトちゃんがここにいる。
幼い子供のように泣きじゃくるわたしを抱き締め、落ちつくまでずっと頭を撫でてくれるフェイトちゃん。
いつだってフェイトちゃんはわたしに優しくって、一番近くにいてくれるのに。
ごめんね。フェイトちゃん。
でも今だけは、温もりを感じられる場所にいさせて。